日本は、古来より洪水や氾濫などに悩まされてきました。
海に囲まれた島国であり、多くの河川を持つ以上、水害から一生無縁でいることはできません。
しかし、将来起きる水害に備えることはできます。
過去の水害や被害の程度を知っておき、心構えをしっかりと行いましょう。
中世日本の水害
近代以前にも、歴史的な水害はいくつも起きているのです。
その中でも多数の死傷者を出したとされる災害について解説していきます。
永祚の風
989年9月、近畿地方を襲った台風により、甚大な被害が引き起こされました。
貴族や庶民の家をなぎ倒し、神社仏閣を吹き飛ばすほどの暴風雨だったようで、当時の人が「今までもこれからも起きることはないだろう」と表現するほどの大変な嵐だったようです。
台風そのものによる被害もさることながら、台風によって引き起こされた高潮や洪水のせいで海岸や川岸が水没。
当然、その付近に住んでいた人や家畜、田畑が浸水被害を受け、多くの命がなくなってしまったと伝えられています。
寛保の洪水・高潮
寛保2年(1742年)の8月、地方をまたぐ記録的な台風被害が起きました。
現在の京都、長野、東京各地で、台風によって増水した河川が氾濫。
それぞれの場所で記録的な大洪水が起き、多くの人々が溺死したと言われています。
長野県に残る洪水の記念碑(千曲川大洪水水位標)によると、およそ10メートルも浸水したと伝えられています。
現代における10メートルというと、一般的な電柱の高さに匹敵します。
令和の時代に起きたと仮定しても、とんでもない被害になってしまうでしょう。
東京では高潮も発生し、江戸城城下の大名屋敷も浸水被害にあったようです。
多くの田畑が流されたこともあり、時の将軍が動くほどの事件となりました。
安政3年の大風災
日本で起きた台風被害の中でも史上最悪の被害を引き起こしたのが、この「安政3年の大風災」です。
前年(安政2年)には江戸地震が、前々年(安政元年)には安政東海地震、安政南海地震が起き、まだ復興も終わっていない最中に台風に見舞われ、数万人規模の死傷者を出したといわれています。
安政3年(1856年)の9月23日。
夕方から降り続いた雨が夜更けには暴風雨に変わり、最大3メートルにもなる高潮を発生させました。
東京湾に面する地区は水没し、その地区に住んでいた人や家屋を飲み込む大災害に発展。
辛くも高潮に飲まれなかった地区は暴風による火災に見舞われ、被害を拡大させてしまったと言われています。
ちなみに、この台風の前に起きた3つの地震は南海トラフ巨大地震であり、それぞれ数千人以上の方が亡くなられました。
安政では、数十年に一度というような大災害がいくつも起きたことがわかります。
近代日本の水害
阪神大水害
現代でいう集中豪雨による災害です。
大雨によって河川の氾濫・決壊が起き、浸水被害や土砂災害をもたらしました。
場所は神戸市や西宮市、芦屋市、宝塚市などで、死者・行方不明者は715人にものぼります。
神戸市の72%の家屋が被災し、市内にある駅構内に家屋の残骸や濁流が流れ込んだことで交通網が麻痺しました。
伊勢湾台風
昭和の三大台風のうち、最も被害者を出したのが1959年に起きた伊勢湾台風です。
この台風では、猛烈な暴風によって起きた高潮が太平洋沿岸を襲いました。
被害者が多数出た愛知県・三重県では、約4メートルの高潮が津波のように家屋を押し流していき、一ヶ月以上も水が引かなかった地域があるほどです。
死者5,098人、負傷者3万8,921人と、戦後の台風災害の中では類を見ないほどの犠牲者を出しました。
平成30年7月豪雨
別名「西日本豪雨」とも呼ばれるこの集中豪雨は、平成に起きた水害の中でも最も多くの犠牲者を出した激甚災害です。
数年経った今でも完全に復旧していない地域があり、過去の災害として扱うのは妥当ではないかもしれません。
特に広島県と岡山県に被害が集中しており、物流や多くの産業など、各方面に影響を及ぼしました。
また、現在大雨の指標として使われている「大雨警戒レベル」は、この災害をきっかけに運用が開始され、避難の指標として役立っています。
水害を知り水害に備えよう
日本の歴史は、災害とともにあるといっても過言ではありません。
特に、台風による被害はいつの時代にも起きており、日本にとっての永遠の問題だと言えるでしょう。
現代において、高潮による被害は大幅に減ったものの、河川の氾濫や土石流などはまだ起き続けています。
私たちにできることは多くありませんが、日頃から災害への心構えを忘れず、しっかり準備しておきましょう。